「いただく」は敬語ですか?謙譲語ですか?

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「いただく」は謙譲語の一種で、相手への行為を謙遜して表現します。単なる謙譲だけでなく、相手からの行為への感謝や恩恵を受けるニュアンスを含みます。「先生に指導いただく」は、指導を受ける行為を謙譲しつつ、その行為への感謝の気持ちも同時に伝える表現です。 この感謝のニュアンスが「いただく」の特徴と言えるでしょう。

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「いただく」は敬語?謙譲語?その奥深さを探る

「いただく」という言葉は、日常生活で頻繁に使われる便利な言葉ですが、敬語の種類として正確に理解している人は意外と少ないかもしれません。一般的には謙譲語として認識されていますが、そのニュアンスは単なる謙譲に留まらず、相手への敬意と感謝が込められた奥深い表現です。

結論から言うと、「いただく」は謙譲語の一種です。しかし、通常の謙譲語とは少し異なる点があります。謙譲語は、自分の行為をへりくだって表現することで、相手への敬意を示すものです。例えば、「参ります」「存じます」などが挙げられます。「いただく」も、基本的には自分の行為を低めることで相手への敬意を表しますが、同時に相手からの行為に対する感謝や恩恵を受けるというニュアンスを含んでいます。

例えば、「先生に教えていただく」という表現は、自分が教えを「もらう」という行為を謙譲語で表現しています。しかし、単に「先生に教えてもらう」と言うよりも、はるかに丁寧で、先生の行為に対する感謝の気持ちが強く伝わります。ここが、「いただく」の持つ独特な力なのです。

この「感謝のニュアンス」は、「いただく」が他の謙譲語と一線を画すポイントです。例えば、「参ります」は単に「行く」という行為を謙譲するだけで、感謝の気持ちは含まれません。「いただく」は、相手の行為によって自分が利益を得ている、あるいは恩恵を受けているという認識がある場合に用いられることが多いのです。

「いただく」は、その汎用性の高さも魅力です。食事の際に「いただきます」と言うのは、食事そのものへの感謝、食材を提供してくれた人への感謝、調理してくれた人への感謝など、様々な感謝の気持ちを込めた表現です。

ただし、「いただく」は万能ではありません。相手が特に何かをしてくれたわけではない場合や、目上の人に対して自分の行為を謙譲する必要がない場合には、不適切な表現となることもあります。例えば、同僚に書類を「見ていただく」のは、少し過剰な敬語表現に聞こえるかもしれません。

状況に応じて適切な敬語を選ぶことが重要ですが、「いただく」はそのニュアンスを理解して使いこなせば、より丁寧で心のこもったコミュニケーションを実現できるでしょう。相手への敬意と感謝を込めたい時に、ぜひ積極的に「いただく」を活用してみてください。

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