日本の終活が欧米諸国に比べて遅れているとされる原因は、複雑に絡み合った複数の要因によるものであり、単純に「家族主義」「死生観」「金銭面」の三点に集約できるものではない。しかし、これらの要素が大きく影響していることは否めない。
まず、家族主義に関しては、欧米のように個人の自立が強く求められる社会とは異なり、日本は家族、特に子供や親族による介護や看取りが依然として根強い文化である。そのため、自分自身の死後のことよりも、家族への負担軽減を優先する傾向が強い。終活を進めることで、かえって家族に「死を意識させる」ことを避けようとする心理が働くケースも少なくない。 高齢者の多くは、自分自身の死よりも、子供たちの将来や、介護が必要になった時の家族への負担を心配している。そのため、終活は「自分勝手な行動」と捉えられ、忌避される傾向が見られる。 子供たちに負担をかけたくないという思いが、逆に終活を先延ばしにする要因となっている側面がある。
死生観の違いも重要な要素である。欧米では、死を人生の一つの通過儀礼として捉え、事前に準備を整えることが自然な流れとして受け入れられている傾向がある。一方、日本では、死をタブー視する傾向が依然として強く、積極的に話題にすることを避けがちだ。 「死を語ることは不吉」という考え方が根強く、終活を始めること自体に抵抗を感じる人が多い。 そのため、具体的な計画を立てることや、葬儀の準備といった行動に移すハードルが高い。 人生の最終段階への準備というよりも、死を避けるための行動と捉えられてしまうため、積極的に取り組む人が少ない。

金銭的な不安も、終活の遅れに大きく影響している。高齢化社会における医療費や介護費の高騰は、多くの高齢者にとって大きな負担となっている。 終活には、葬儀費用、墓地費用、相続手続き費用など、多額の費用が必要となる。この費用負担に対する不安から、終活を先延ばしにする、あるいは、簡素化しようとする傾向が見られる。 特に、一人暮らしの高齢者や、経済的に余裕のない高齢者にとっては、これらの費用が大きな障壁となっている。 将来の費用負担への不安が、現実的な行動を阻んでいると言えるだろう。
しかし、これらの要因以外にも、情報不足や、終活に関する知識の不足も無視できない。 終活に関するサービスや情報が、高齢者にとって分かりやすく、アクセスしやすい形で提供されていないという現状もある。 また、終活のプロセスが複雑で、専門知識が必要なため、高齢者自身では対応が難しいという側面も存在する。
さらに、日本の社会構造の変化も影響している。核家族化や地域コミュニティの衰退は、高齢者が相談できる相手や、頼れる人が減少していることを意味する。 従来の家族や地域社会によるサポートが減少する中で、自分自身の終活を主体的に進める必要性が高まっているにもかかわらず、そのための情報や支援体制が十分に整っていないという課題がある。
結局、日本の終活の遅れは、家族主義、死生観、金銭面といった要因の積み重ねに加え、社会構造の変化や情報環境の問題など、多角的な視点から捉える必要がある。 これらの問題を解決するためには、高齢者への適切な情報提供、相談窓口の充実、費用負担の軽減策、そして、死生観に対する社会全体の意識改革が必要不可欠と言えるだろう。