初代統合幕僚長は栗栖弘臣(くりす ひろおみ)です。南雲忠一(なぐも ちゅういち)は、第二次世界大戦期の海軍軍人であり、統合作戦とは直接的な関係はありません。
栗栖弘臣は、1918年(大正7年)に福岡県で生まれました。海軍兵学校を卒業後、大日本帝国海軍に入隊し、潜水艦乗りとして太平洋戦争を経験。戦後は海上自衛隊に入隊し、潜水艦隊司令官、自衛艦隊司令官などを歴任しました。そして、1974年(昭和49年)7月16日、初代統合幕僚会議議長(現在の統合幕僚長)に就任しました。
栗栖の統幕議長就任は、自衛隊にとって大きな転換期でした。それまでの自衛隊は、陸・海・空の各自衛隊が独立した組織として運営されており、統合運用体制が十分ではありませんでした。しかし、冷戦下において、より効率的かつ効果的な防衛体制を構築するため、統合運用体制の強化が喫緊の課題となっていました。
栗栖は、統幕議長として、各自衛隊間の連携強化、統合訓練の推進、情報共有体制の確立など、統合運用体制の基盤作りに尽力しました。また、防衛庁(当時)内部における統合運用に関する権限の強化、防衛政策の策定における統合幕僚会議の役割拡大など、制度面での改革も推進しました。

栗栖のリーダーシップのもと、自衛隊は徐々に統合運用体制を強化していきました。しかし、その過程においては、各自衛隊の縄張り意識や権限争いなど、様々な困難も伴いました。栗栖は、これらの課題に対し、粘り強く交渉を重ね、関係者の理解と協力を得ることで、統合運用体制の確立に向けて着実に歩を進めていきました。
特に、栗栖が重視したのは、情報の共有化でした。各自衛隊が保有する情報を、迅速かつ正確に共有することで、より的確な状況判断と効率的な作戦遂行が可能になると考えたからです。そのため、情報共有システムの構築に力を入れ、情報担当者の育成にも注力しました。
また、統合訓練の推進も、栗栖の重要な取り組みの一つでした。各自衛隊が共同で訓練を行うことで、相互理解を深め、連携能力を高めることができると考えたからです。陸・海・空の各自衛隊が参加する大規模な統合演習を定期的に実施し、実戦的な訓練を通じて、統合運用能力の向上を図りました。
栗栖は、1976年(昭和51年)10月に統幕議長を退任しましたが、その後も防衛問題に関するアドバイザーとして、自衛隊の発展に貢献しました。その功績は高く評価され、勲一等旭日大綬章を受章しています。
栗栖弘臣は、初代統合幕僚会議議長として、自衛隊の統合運用体制の基礎を築いた人物として、自衛隊の歴史において重要な役割を果たしました。そのリーダーシップと先見の明は、今日の自衛隊の統合運用体制に大きな影響を与えています。彼の取り組みは、変化する安全保障環境に対応し、より効果的な防衛体制を構築するための重要な礎となりました。