「参上いたします」は二重敬語ですか?

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いいえ、「参上いたします」は二重敬語ではありません。「参上する」は謙譲語、「いたします」は謙譲語の「する」の丁寧語です。一つの行為(参上)に対して謙譲語と丁寧語が組み合わさっているため、二重敬語には該当しません。相手への敬意を示す適切な表現です。
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「参上いたします」は二重敬語?その誤解を解き明かす

日本語の敬語は、その複雑さゆえに、ネイティブスピーカーでさえ頭を悩ませることがあります。「参上いたします」もその一つ。一見すると「参上する」と「いたします」の組み合わせが二重敬語のように思えるかもしれません。しかし、実際にはそうではありません。この記事では、「参上いたします」がなぜ二重敬語ではないのか、その敬語表現の構造を丁寧に解説し、誤解を解き明かしていきます。

まず、「二重敬語」とは何かを確認しましょう。二重敬語とは、一つの動作に対して複数の敬語表現を重ねて使用してしまう誤用を指します。「お伺いいたします」を例に取ると、「伺う」は「行く・来る」の謙譲語、「いたします」は「する」の謙譲語「致す」の丁寧形です。つまり、「行く」という一つの動作に対して、謙譲語である「伺う」と、さらに謙譲語の丁寧形である「いたします」が重ねて使われているため、二重敬語とされています。

では、「参上いたします」はどうでしょうか。この表現を分解すると、「参上する」と「いたします」から成り立っています。「参上する」は「行く・来る」の謙譲語です。一方、「いたします」は、一見すると「する」の謙譲語「致す」の丁寧形に見えますが、実際には「参上する」という動詞全体を丁寧にする補助動詞として機能しています。

ここで重要なのは、「参上する」自体がすでに謙譲語であるという点です。「参上する」は、自分自身の動作をへりくだって表現することで、相手に敬意を示す謙譲語です。そして、「いたします」は、この謙譲語である「参上する」全体をさらに丁寧に表現するための補助動詞として使われています。つまり、「参上いたします」は、一つの動作(参上する)に対して、謙譲の意を表す動詞と、その動詞全体を丁寧にする補助動詞が組み合わさっている形であり、二重敬語には該当しません。

「~いたします」という形は、他の謙譲語にもよく見られます。「拝見いたします」「お聞きいたします」などがその例です。「拝見する」「お聞きする」はそれぞれ「見る」「聞く」の謙譲語であり、それに「いたします」をつけることで、より丁寧な表現となっています。これらも「参上いたします」と同様に、一つの動作に対する謙譲語と丁寧語の組み合わせであり、二重敬語ではありません。

さらに、「参上する」という表現自体にも注目してみましょう。「参上」という言葉は、元々は目上の人物のところへ伺うことを意味する言葉でした。現代では、ビジネスシーンやかしこまった場面で、相手に敬意を示す表現として使われています。特に、訪問や出席など、自分が相手のもとへ赴く際に用いられることが多く、その行動を通して相手に敬意を表す謙譲の気持ちが込められています。

このように、「参上いたします」は、相手への敬意を適切に表現した丁寧な言葉であり、二重敬語ではありません。日本語の敬語は複雑で、誤解が生じやすい部分もありますが、それぞれの言葉の成り立ちや意味を理解することで、より適切な表現を使うことができるようになります。「参上いたします」も、その意味や構造を理解することで、自信を持って使えるようになるでしょう。

敬語を使いこなすことは、円滑なコミュニケーションを築き、良好な人間関係を育む上で非常に重要です。誤解を恐れずに、積極的に敬語を学び、使いこなせるように努力していきましょう。そして、「参上いたします」のような、一見すると複雑に見える表現も、正しく理解することで、より深く日本語の奥深さを味わうことができるはずです。

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